鈴木泰博
前回の課題の解説:
アルゴリズムそのものは,Turing
Machineなどによる計算の定義と全く同じものだ.なので,アルゴリズムは手続き的にアルゴリズムとして与えられないと「意味がない」.
正規型とは計算代数で使われている概念で,ラムダ計算などで出てくる簡約系と同じ意味である.それを,計算が停止しない場合にまで拡張している概念でもある.
自然計算から形式計算への進展
主観的検証を行う計算は自然計算と定義したことにより,先述の「主観的検証」を行う計算はすべて自然計算となる.よって,私たち人間を^む自然系一般に自然計算は遍在している.
たとえば, 今日ではワインとよばれるブドウ酒は,偶然にブドウが群生しているところで潰れたブドウが自然発酵しているのが発見されたのだろうと言われている.化学はおろか醸造法も発展していなかったであろう当時, その" おいしい液体"を再現しようと,その場にあるブドウなどを潰したり水を加えたりといろいろ試行錯誤が繰り返されたのであろう.
このワインをつくるための試行錯誤とは「ブドウ液の作用の順序による状態変化」であり,正規型はその状態変化の結果に得られる"得体の知れない液体"となる.そして観測系として私たちの味覚の正解集合があるため,ワイン醸造も計算系とみなすことができる(以下ではワイン計算系).
ワイン計算系が自然計算の場合は,とてもワインとはいえないような怪しい液体(正解候補)でも,その計算主体の主体的検証の結果「正解」となればワインとなる.だがその"その計算主体がワインとする液体"は,他の多くの主観的検証系(つまり,そのワインをテイスティングする人々)からは「不正解」とされるであろう.よって,それなりの人々でワインを共有する場合には,それなりに多数の主観的検証系が「正解」とするワインができるようにアルゴリズムを改変(プログラミング)していく必要がある.ここでのワインの検証では,主観的検証系が集団となることにより客観を構成しその結果,主観的検証系(自然計算)から客観的検証系(形式計算)へと進展していく例を示している.
この主観的検証系から客観的検証系へと進展させることにより,自然計算を形式計算へと変化させていく試みは自然科学一般の方法である.多くの場合,大きな発見は1人の科学者による勘や経験に非合理的な直観から生まれる.その発見の新規性が高い場合には客観的検証が行えない場合も多い.そこで「その大きな発見かもしれない物事」を客観的検証が行えるように,試行錯誤を繰り返していくことになる.
そこでは自然計算系から形式計算系への進展が試みられその結果,完全に合理的な形式計算系が構築されるか(多くは数学や物理の場合),もしくはワイン計算系のような,合議的な形式計算系が構築される.
後述するが,計算機科学は形式計算(数の計算)と自然計算(論理)の融合により輿ったものである.数や集合といった計算機科学や数学の基礎には自然計算(人間による認識)があるため,合理的な形式計算系の構築は困難である.
たとえば,幾多の困難をひきずっている人工知能では,知能という自然計算系を,合理的な形式計算系に発展させていくには困難が多く(フレーム問題や自然言語処理での意味処理ほか),近年では合議的な形式計算系(自然言語処理での統計・コーパスの使用など)へと方向を変えたことにより,新たな展開が見えはじめてきた.今後も(本当に存在するかわからない)「純粋なる知能」なるものを取り出した合理的形式計算系ではなく,環境との相互作用を取り込んだ,合議的な形式計算系として人工知能は発展していくであろう.
ここまでで,計算の再定義,をおわりにする.再度注意してほしいのは,この再定義には従来のTuringや原始帰納関数による計算の定義(Church-Turingの提唱)を含んでいる点である.この定義は簡単にみえるけど10年ぐらいかかった(時間をかけたから正しいわけではないけどね).当然,いろんな批判や議論があった.印象的なのは,ある小さな国際会議で「受け入れられない!」と憤慨していた理論家が,翌年に講演してたら「1年間よく考えてたんだけど..やっとわかった.数学的に厳密化するとそうなるね」と言っていた.
さて,ではちょっと戻るかんじになるけど..熊楠の科学論を圏論として解釈してみよう.なぜ,そんなもんを担ぎ出したかというと,最初は集合と写像で定式化をした.それはそれで楽しいのだが,表記がどんどん複雑になって,自分以外の人にはほぼ理解不能な代物になってしまう.さる大先生から「ここはすべて一から考え直した方がいい」とご忠告をうけ...どうしたもんかなぁ..と一夏考え込んだ.
その頃に,つきあいがあった物性物理の先生が圏論に凝っていて,おそろしく難解な理論をうちたてていた.あまりに難解だったので,2018年前の春先だったに先生の大学まで出向き泊まり込みで教わった(けど,もちろん,完全には理解できまへんでした).そんな頃に大先生から「これじゃあ誰もわからないのでは..」とご忠告をいただき途方に暮れていたので「もしかしたら圏論で書けるノデハ?」と..圏論をつかってみたら,なんか夏の終わりにとってもスッキリ書けてしまった.たしかその秋に神楽坂の理科大であった物理の研究会に誘われていて,そこでこの熊楠の圏論的解釈の話をした記憶がある.演題には率直に,南方熊楠の..なんちゃらの..圏論的解釈,みたいのを出してしゃべった.
南方熊楠はいろんな文献を漁ってかたっぱしからオベンキョウしてみたんだけど,どうも「トホホ」な論説が多く,なかには「そんなばかなー!」と絶叫するようなトンデモ論説が..これがけっこうあるんですわ.結局のところ研究書や解説よりも,熊楠の書いたものが一番ということがよーくわかりました.理科大での講演のときにも,前フリに,そのあたりの事情を面白おかしくカラカッテいたのでありますよ.なかでも,超有名人の先生のトンデモぶりも交えてね.すると,一番前の席で最初っから最後まで腕組んで怖い顔で睨みつけっぱなしの先生がいらして,「あっ!」と気づいたんだけど,その先生はmわたしがカラカッていた大先生の「大親友」だったのでした..
閑話休題.
熊楠が「いろいろの順序で心物名事の四つを組織するなり」と述べているように,これら4つを基盤として彼の科学論は構築されている.だが熊楠の科学論ではこれら4つに加えて「印」(「名」を「心」に映したの)があったはずだが,科学論の構成では「印」が無視されている.これに留意しつつ熊楠科学論を圏論をもちいて記述してみる.
当初は熊楠の科学論を集合と写像をもちいて定式化してみた.だが「物」や「事」そして「不思議」などを,集合をもちいて記述することに無理をかんじていた.さらに能力不足から記述が煩雑になってしまった.圏論は全くの素人であるが,試みに圏論をもちいて記述をしてみたら,集合を定義しなくてよいなど気が楽で,さらに比較的簡潔に記述できたので,以下にそれを記す.ただそれだけのことで,かかる経緯で,止むを得ず記述の言ロとして圏論をつかう.圏論の予備知識は無用であるし,私は圏論の向度な概念を使う能力も知識もない.もし本格的に圏論に興味がある方は類書をご参照いただきたい.
この部分だけ急にとってつけたようにしたくない.そこで,圏論をどのように捉えて記述に用いるのか最初に簡単に述べる.
集合・写像では要素に着目してモノコトを考察するが,圏論では要素間の相互作用(写像に相当)に着目する.この目のつけどころの違いが相互作用を基盤とする熊楠の科学論とは相性がいい.
要素に着目して相互作用を考察する場合は,たとえば f : x → 1のように, x とその写された先が気になる.この場合であれば分母が*0** になるとマズイので,要素 x が 0になるか否かが気になり,xの集合の定義の仕方にいろいろと気をつかう.とくに「物」や「心」など,それは集合として定義できるのか,どの種類の写像なのか(全射,単射,全単射など)などいろいろ気にしだすと煩雑な記述になってしまう.
その点,圏論では集合ではなく,ものの集まりとして" 対象'と,対象間の写像に相当する" 射'というおおまかな枠組みで構成されている.もし必要ならば集合や写像を圏として構成することもできる.視点を要素から射にうつすことはよいとして,どのように要素ではなく射のみで射を特徴づけるか?
· 射(arrow, morphism)f, g, h, ...**:
「知の完備化」による熊楠科学論の圏論解釈
熊楠科学論の構成部は前掲した以下であるが,これを圏とみなすためには結合律を満たす必要がある.結論からすると,熊楠科学論の枠組みは結合律をみたすため圏となる.
まず,熊楠の立場では,無知な主体(私たちなど)と全知な存在(大日如来)は本質的には同じであり,十分な時間・経験を経れば全知たりえる.全知な立場からすると時間や空間(距離)がなくなる(「因果は断えず,大日は常在なり.心に受けたるの早晩より時を生ず.大日に取りては現在あるのみ.過去,未来一切なし.人間の見と様全く反す.空間もまた然り.」).
もし全知であれば,知を得るために時間を生じさせる行為(計算)は不要である.私たちでも11 × 11の計算結果を知っていれば改めて計算することはしないが,これは「11 ×11=121」と知っているからである.
以上より,熊楠の科学論は圏として以下のように定式化できる.
· 対象「: 物,心,事,名」= A
· 射: 「力」
· domain と codomain は A
· 合成: 「物・心・事・名」間の「力」による合成
· 恒等射:対象と射の定義より a → a, (a ∈ A)
は含まれる
· (as): 「知の完備化」により射の結合法則が成立する.
· (id): a → b,
∈ A
に対し,Ia, Ib
が存在することとする.
圏論は柔軟なフレームワークが特徴であるため,以上は熊楠科学論の圏論解釈の一例に過ぎない.以下ではこうして定義された圏を「熊楠圏」とよぶことにする.
この資料は http://www.cs-study.com/koga/category/VeryBasicsOfCategoryTheory.pdf
とても直感的に「圏論とはなにか?」を教えてくれている.
課題
圏の例を3つあげなさい,具体的には以下を確かめればよい.
まず,対象と射を定義する.
恒等射があることを確かめる.
次に射の合成が成立するか確かめる.
射が可換であることを確かめる.