鈴木泰博
概要:自然計算について考察するに,自然を問うことはできないため(前回の課題),まず計算について再考する.計算には数学的定義がなく,チャーチ・チューリングの提唱(Church's thesis)により,数学的な「合意」となっている.またこの提唱に関わるTuring Machineや帰納的関数の背景には,当時の数学的基礎論の要請・機運があり(ヒルベルトの第10問題, この問題の解決に近いところにいた1人,広瀬健による解説論文),直接的に自然を考察するための計算とは言い難い.
そこで,計算を再考するためには,科学史・科学論的に広く計算一般について,「人類がどのような考察をおこなってきたか?」を調査する必要がある(温故知新).
前回の課題について 概ねよくできていた.ポイントは人間と自然が不可分なことにある.人間もまた自然であるため,人間が自然を考察するとは,人間が人間を自然が自然を考察することになってしまう.なので,自然計算を考える際には,自然を直接,考察することをせず,計算について考察することになったわけである.
計算の概念は様々である。あるヒトにとっては電卓を叩くことが計算であ る。そんなヒトに向かって「計算とは認識である。計算の結果は観測を経な いと得ることができない。」と主張すると、全く理解しかねる風に「しかし、 電卓の上に計算の結果が出ているじゃないか。それを筆算で検算しろとでも 云うのか!」と声を荒げる。「計算を” 認識の仕方” なぞと、そんな大仰に唯 だ概念を拡張することに何の意味があるのか。だったら、何だって計算じゃ ないか...」としらけた風に顔を横に向ける。「大体からそんなのは” ○○” の 云い換えに過ぎないじゃないですか。意味がない...」と冷笑する。
つまりこれは、それだけ” 計算” の概念が我々にとって日常的で、さして疑 問を呈する必要もない根本的認識に近いことを示している。
“ 計算とは計算機科学の” 専売特許” であり、その源流は A.Turing にある” この言明は Turing 以降の 100 年、つまり、Turing の世紀、ではさして再考する必要はなかった。電子計算機の誕生を契機として社会に投じられた計算機 科学は隅々まで溶け込み、構造を変革させ、独立した分野としての姿を変え ていこうとしている。
しかしながら “計算” の概念そのものが姿を消していく気配はない。光計算、DNA 計算 · バイオナノエンジニア リング、量子計算など、従来の計算機科学とは異なった計算メディアフレーム ワークによる計算系が、その新たな工学的な可能性と共に脚光を浴びている。 その一方で、化学反応、粘菌、撞球等を用いた様々な “計算系” の研究は計 算機科学のみならず広く生物、化学、物理学等の分野で細々と行われてきて いる。それらは、化学反応系により AND 回路が実現できたり、ひどく手間を かけて迷路や経路問題を解いたりするようなものだったりする。そして、何 も知らずにみればそれは単なる化学反応だったり、生物の動きだったりするのだが、予め、○○計算系の見方、みたいなものが決められていて、それに 沿って” 観測” することにより計算系として成立するのである。よってかかる” 計算系” は汎用性や実用性に乏しいものが多く、今まで半ば無視されてきた。
自然計算を考察する場合には、これらの計算系の存在を無視することはできない。しかし、従来法と計算速度や効率の比較を行っても、どのようにしたらチューリングマシンと同等の計算能力を持つのかを検討しても、そもそもそれらを意識して構築されている計算系ではないので、さして本質的な考察になるとは思えない。我々は、計算系をつくりたがる。ここで興味深いのは” 何故、そのような 計算系をつくりたがるのか?“である。粘菌や化学反応を用いた計算系の研究 は” 理屈なしに面白い” そして研究を行っている側も” 面白いから研究をして いる”。では、何故、我々はそのような研究を” 面白い” と思うのだろうか。そ こに” 自然計算とは何か” を考えるための鍵があると考える。
桜は、ある日に突然に咲き始める。どの桜も遅れをとることなく、時を同 じくして咲き始めるのである。そして、春霞のごとく満開になった刹那、す べての桜は、まるでその時を待っていたかのように、息を揃えるようにして 一気に散りゆく。自然は時に精巧にプログラムされているかのような振る舞 いを見せる。自然系のどこかにすべてを指示している” なにか” が存在してい るのだろうか。
” これぞ自然計算である... 自然はプログラムされているのだ” などと云われ ると、なにか違和感を感じる。また、「自然はプログラム化されている」、な どと云えば科学哲学者に「ならば、惑星は計算しているのか?」と問われ、咄嗟の答えに窮する。その一方で、自分の損得のみに敏感な人をみると「あの 人はどうも計算高い」と云ってみたり、目論見通りに事が運ばないと「計算 通りにいかない」と云ってみたりする。私たちは何となく漠然と計算の概念 を持っている。その漠然とした概念の中でも、数の計算については我々はさ して抵抗なく受け入れることができる。
数の計算は、数の表記の進展と共にあった。数の表記の進展は学術的、宗教的な背景と、計算の簡便さを追い求める実務的な要求が駆動力となってき た。そして、数の表記における 10 進法が計算機の出現を促した。
10 進法については、西暦 662 年にヒンドゥーの数学者らが用いていることが確認されており、” アルゴリズム” の言葉の語源ともなった、イスラム世界 に強い影響を残した数学者、モハメド · イブン · ムーサー · アル · フワーリズ ミーによると、8 世紀の後半にヒンドゥーの天文学の文献「シッダーンタ」が アラビア語に翻訳され、イスラム文化圏に 10 進法が伝わったとされている?) 。
そして、フィボナッチ数列などで知られる数学者、レオナルド · フィボナッ チが 1202 年に著した「算盤の書」等により 10 進表記はヨーロッパに伝えてら れている。だが、フィボナッチは 10 進表記を整数に対してのみ用いて、小数 の表記は大昔のメソポタミアから用いられてきた単位分数で表記している 1)。 しかし、ヨーロッパではこのヒンドゥー数学の仕方の受け入れには激しい 抵抗があり、すんなりとは受け入れられなかった (ヒンドゥー表記に賛成する 側はアルゴリスト、守旧派はアルバキストとよばれた)。学術的な論争はとも かくとして、10 進法とは強力な計算の道具であり、オランダの数学者シモン · ステヴィンが測量や商人など計算を日常的に行う実務家のため実用書として 著した「十分の一」がヨーロッパ全体でベストセラーとなり、一気に 10 進法 がヨーロッパ域内に広まることになる。そして、さらに現在用いられている ような表記法へと洗練させたのが、ネイピア数で知られるスコットランドの 数学者、ジョン · ネイピアであった。彼は 10 進法と 60 進法を用いる計算の” ややこしさ” が科学の進展を阻んでいると考え、” 小数点” により 1 以下でも 10 進法を導入し、それを契機に現在用いられている 10 進表記が用いられる ようになった。
数の表記については、ライプニッツも 2 進法を用いると 0 と 1 のみで数の 表記が可能なことを示している。彼の論じた 2 進法は現在と同じものである が、当時は受け入れられなかったが、約 200 年後に電子計算機の内部表現として用いられるようになる。さて、ネイピアと時をほぼ同じくして、チュービンゲン大学の天文学、数学、ヘブライ語の教授であったヴィルヘルム · シッカルトは、ケプラーのため に四則演算ができる計算機を構想する。しかし、シッカルトはペストで亡く なってしまい実際には計算機はつくられることはなかった。その一方、シッ カルトと独立に数学者ブレーズ · パスカルが、政府の役人だった父親が大量 の計算をしているを助けようと、複数の歯車により位取りの計算を行う機械 式の計算機、パスカリーヌ、を考案する。そしてライプニッツはさらにこの、 パスカリーヌ、をライプニッツ式歯車を考案することにより掛け算ができる ように改良した。そして、このパスカルとライプニッツによる計算機アーキ テクチャは、その提案から 300 年以上にわたりバベジによる階差機関や 20 世 紀中頃の真空管を用いた電子計算機のアーキテクチャとして引き継がれてい くことになるのである (その後に計算機アーキテクチャは洗練され、現在では 異なるアーキテクチャとなっている)。
また、ライプニッツにとって計算とは数による計算であることはもちろん のこととして、彼は数のみならず記号処理による計算として自然を記述する ことをも指向していた (結合法論)2)。
電子計算機はチューリングの計算論と融合して、計算機科学が誕生してい くのである。そして、ライプニッツから遅れること 200 余年して、数の計算 は記号の計算と結びつけられ、電子計算機上に記号処理系が実装され、数の 計算のみならず記号処理、数理論理学他の計算機数学が発展していくことになる。 そして、計算機科学は、その誕生からわずか一世紀の間に爆発的に発展ることになる。だが、21 世紀に入ってからその状況は変化してきた。
アラン · チューリングによる計算の概念の数学的定式化、それは提案され たのはたった 1 つの計算系であったのだが、それは科学にとっての” ビック バン” であり、そこから” チューリングの銀河系” ともよぶべき計算機科学の 宇宙が生まれ、瞬くうちに人類を社会を巻き込んで、現在でもさらに拡張を 続けている。 このビックバンによる計算機科学の誕生は、Turing に依るものであるが、 先述のように数の計算は長い歴史を持ち、また数の計算を用いた論理的な計 算は、ライプニッツが考察している。よって、このビックバンは、チューリ ング以前からの計算の概念の流れの上に生じたと考えてもよいだろう。
チューリングにより、数と記号を用いた計算が数学的に厳密化されたわけであるが、自然計算を考察するにあたって、チューリングの銀河系から少し離れ、計算/アルゴリズムの源流をたどっていくと、どうしてもライプニッツに行き着いてしまう。
ライプニッツ (Gottfried Wilhelm Leipniz) は 1646 年にライプチヒに誕生し た。誕生して 2 年後に 30 年戦争が終結し、誕生から 4 年後の 1650 年に、当 時から現在まで絶大な影響力を与え続けている思想家、デカルトが逝去して いる。1666 年、20 歳にして彼のその後の計算的な思想の礎となる「結合法 論」を著している。そして、スピノザが「エチカ」を著した 1675 年に当時 29 歳であったライプニッツは微積分学を着想している。「17 世紀の万能人」と も称せられた彼の業績は多岐にのぼり、ドイツの国家事業として 1900 年以来 継続されているアカデミー版全集も、世紀を超えた 21 世紀に至っても、その 完結にはさらに半世紀を要するとみられている?) 。
ライプニッツは自然とは構成的につくられているとした。計算機科学の立 場からすると、それはつまり、自然はプログラムとして記述できるとするの に等しい。この立場に立つと、計算とは自然を認識する仕方となる。ライプ ニッツの構想したこの壮大な計算論は、人知れず、チューリングの銀河さえ も包み込み、現在でも、人知れず 6)拡張を続けているともいえるだろう。このライプニッツの計算による自然の理解の仕方を、ニュートンによる物理学的な自然の理解の仕方と比較する。
自然を理解する仕方として、物理学は大きな成功をおさめてきている。ラ イプニッツは、現代物理学の源流の 1 つであるニュートンと、正に自然の認 識の仕方の点で異なる方向から交差している。ライプニッツはニュートンと共に同じく微積分学を着想したが、、ライプ ニッツが微積分を「無限小」の” 代数的処理” から着想したのに対し、ニュー トンは「流率法」として物理学(力学)的な立場から着想している?) 。ライプニッツもニュートンも、微積分学を着想した思想的な基盤には” 神の存在の 証明” がある。これは、当時の哲学や科学 (最も当時はその明確な区別など存 在していないが) にとって、その存在理由ともなる重要な問題であった。
“神の存在の証明” となると、なにかオカルトめいた印象をうけるかもしれ ない。自分には科学哲学史的な背景等について議論する資質は無いが、自然 科学の立場から素朴に彼らの行ったことをみると、微積分学や計算を通した 神の存在証明とは、本質的には自然の原理の解明であり、それは現代の自然 科学と考えても差し支えないように思える。よって以下では哲学書などでは” 神” とされている部分を自然と置き換える。また、哲学的に厳密な定義や用 語は使用せず” 意訳” とする。
ニュートンは自然の仕組みを示すために” 不動にして均質な絶対空間と一 様に流れる絶対時間を導入し、これらは自然の存在とは無関係に存在する実 体的なもの” と仮定した 7)。これに対してライプニッツは、そのような仮定 をおかずに、時間や空間は自然を構成する要素の相互作用から生じてくるとした。
ニュートンの仕方とは、例えば、“ドミノ倒し” を行う場合に、ドミノが全 て倒れるまでの時間を計測するためのストップウォッチが用意され、ドミノ や、それを並べる場所、最初のドミノを倒すこと、等のドミノ倒しを行う空 間も予め与えられているとする仕方である。ニュートンは、
「運動は獲得されたり失われたりするように思われる。しかし、液 体の粘りや部分間の摩擦により、また個体の弾性の不足によって運 動は獲得されるよりも、失われることの方がはるかに多い」(ニュー トン「光学」問い 31)
そして、
「やがては改革を必要とする」(ニュートン「光学」問い 31)
としている。そして、“この「改革」とは、神が自然現象に介入するというこ とではないのか (内井)“。これに対し、ライプニッツは「能動的な力は世界に おいて保存される」と一貫して主張している。“ライプニッツ自身も、運動量 が必ずしも(摩擦や衝突の際の変形などにより)保存されないというニュー トンの見解には同意するのだが、別種の保存が成り立たなければ、神の設計 が不完全になるのでそのようなことはありえないと確信しているのである (内 井?) )。そして、“世界を神のつくった時計にたとえるのなら、この時計は神の 介入や変革を必要とせず、完璧に動くものでなければならない (内井?))”。こ のニュートンの仕方からすると、もしドミノ倒しが途中で止まってしまった ら、神の介入が介入してドミノを再び倒すことを許す。
一方で、ライプニッツの仕方とは時間はドミノが連鎖的に倒れることによ り時間が生じ、ドミノを並べる場所、ドミノが倒れること等はすべて” ドミ ノ倒し系” を構成する要素間の相互作用により生じてくるとする。よって、も しドミノが途中で止まってしまったら、ドミノは止まったままとなる.
今回の課題(NUCTから提出)
ライプニッツとニュートンの自然に対する考え方は大きく異なる.だが,両者はいわば「自然のメカニズム」を「神のメカニズム」として考察している.前回の課題と共通した問いだが,彼らの議論のどこに"人間”がいるのだろうか?あなたの考えを述べてください.
次回は,計算の科学史,ライプニッツの哲学の困難(チャレンジ課題)から,南方熊楠の科学論に入っていく.大学が原則,閉鎖されているため図書館にアクセスできないのが激痛だが...
次回から数回は「南方マンダラ,河出文庫」を底本として用いる.
冒頭の「解題」は,ポイントは抑えていて良いガイドだが,だんだんとポストモダン哲学の用語が散りばめられていてオシャレになっていくのだが,なんだかよくわからなくなる.長年この文献と向き合ってきて「これはわからなくていいんだ」ということがわかってきた.これは,小生の個人的感想なり.